●品種名の由来
 今から139年前の安政6年(1859年)。岡山県上道郡高島村大字雄町(現岡山市雄町)在の篤農家、岸本甚造氏が伯耆大山(鳥取県)に参拝した時、その帰路でふと足元を見ると、畦道におおいかぶさるように一段と重そうな変わり穂を見つけた。「これはよい穂だ。」
 早速二穂を譲り受け雄町に持ち帰った。選抜を続け、慶應2年(1866年)にこの新種に「二本草」と名付けた。雄町に良い酒米があるとのうわさが広まり、分けて欲しいという希望者が殺到した。
 その後、県南部をはじめ当地一帯で栽培されるようになり、米の名前もいつしか雄町の名をとり「雄町米」と呼ばれ広まった。そして、雄町は明治21年には最北部を除く岡山県下全域に普及し、その後他県へも広がった。明治41年には岡山県の奨励品種に採用されている。

● 酒米としての雄町
 雄町は主食用として流通していましたが、酒造では醸造原料米として、大粒で心白があることが条件の一つとされ、心白の大きい「雄町」の酒造好適米としての評価は極めて高まりました。各地酒造家から「岡山県産の雄町」が酒米に最高の品質と賞賛された。
 雄町は酒造好適米としての優秀性から各地で交配種として使用され、現在最上とされる酒造米山田錦(大正12年に兵庫県農業試験場で「山田穂」を母、「短桿渡船=雄町の血を受け継いでいる品種」を父の交配でできたもの)や酒造好適米作付け第一の五百万石等の、優良品種を作り出した。平成8年現在では、48種の酒造好適米がある。その中、29品種に「雄町」の血が受け継がれている。

●「幻の酒米」雄町のいわれ
 雄町は、質・量とも全国の酒造家において名声をほしいままにし、酒米の王座を譲らなかったが、食用米の確保に主力がそそがれるようになったこと、栽培の難しさなどから次第に生産量が減り、全国の酒造家に渇望されながら入手できなくなったことから“まぼろしの米”と言われるようになった。

● 酒造好適米「雄町」の特性
 雄町は岡山県中南部で9月上旬に出穂し、10月下旬に成熟期を迎える晩生種に属する大粒種である。草丈は115cmと著しく長く、茎は太く、穂は長丈で白色の長芒がある。玄米は粒形が極めて大きく、ややうるんだような心白をもち、銀白色をしている。
 適地は岡山県中部及び中部以南の花崗岩の崩壊した壌土もしくは砂壌土で、土壌が深く排水の良好な水田での栽培に適する。
 雄町は草丈が長いため、倒伏しやすく、また、いもち病など耐病性に弱く、収量性が低いなど栽培面で難点をもっている。